■《天声人語》 05月21日

 クジラをめぐる論争は、しばしば「文明の衝突」の様相を呈する。そうではないと思うのだが、そうなりがちである。いくつか 短絡が起こりやすいからだろう。

 鯨食あるいは捕鯨は日本の文化だ。そう主張する人たちがいる。万葉集にも「鯨(いさな)取り」とうたわれたように、確か に日本人とクジラとのつきあいは長い。江戸期の蕪村にもこんな句がある。〈菜の花や鯨もよらず海くれぬ〉。

 戦後の商業捕鯨はこれとは違う。大規模な船団を組んで南極捕鯨に行った時期には、捕鯨は産業であり、貧しい国民の たんぱく源にもなった。その時代は過ぎ去った。

 日本を批判する側にも変なところがある。日本人の鯨食習慣を誇張してとらえ、あたかも「野蛮な習慣」とみなしているよう な一面がある。こちらはつい「文化の違いだ」と反論したくなる。互いに誤解しやすい素地がある。

 組織的な捕鯨を始めたのはスペインなどに住むバスク人といわれる。海の覇権争いとも関係するが、英国にしても米国に しても昔は巨大な捕鯨国だった。植民地政策の先発と後発に似た歴史がある。クジラを乱獲した英国などがまず謝ったらど うかという議論もあるほどだ。

 そういう非難の応酬をしても仕方ない。絶滅の危機にある種の保護は当然として、何が重要なのか順番に合意をつくって いく。その時期だろう。だが20日から始まった国際捕鯨委員会(IWC)総会では、多数派工作をめぐる話題が多い。

 いかに「文明の衝突」にしないか。国際社会の課題のひとつだが、IWCでの議論も例外ではない。