文明開化ぶんめいかいかひろ普及ふきゅう 抵抗ていこうかんない都市としから

 田舎いなかではこうした風潮ふうちょうであったから、牛肉ぎゅうにくひろ普及ふきゅうしたのはまず都市としからであった。政府せいふ肉食にくしょく奨励しょうれいしたし、都市としみんうしぎゅうともきることがないから、はじめから牛肉ぎゅうにく比較的ひかくてき抵抗ていこうかんじることなく受け入うけいれられた。
 
 牛肉ぎゅうにく開業かいぎょうでもっともはやいのは、一八五一いちはちごいちねん大阪おおさか阿波座あわざ徳松のりまつというひとひらいたみせである。つぎに一八六八いちはちろくはちねん大阪おおさかしんもんてい開業かいぎょうした。長州ちょうしゅう征伐せいばつのとき関東かんとう武士ぶしがたくさん大阪おおさかて、はじめて牛肉ぎゅうにくあじわい、そのうまさにほれ、 武士ぶしがさかんに牛肉ぎゅうにくおとずれたという。
 
 政府せいふ肉食にくしょく奨励しょうれいは、洋風ようふう調理ちょうりほうによる牛肉ぎゅうにく取り入とりいれようとしたのである。しかし、受け入うけいれるほうでは洋風ようふう調理ちょうりほう問題もんだいでなく、にくそのものをおいしくべる方法ほうほうとして日本にほんふう料理りょうりしたのであった。そのさい、従来じゅうらい田舎いなかでおこなわれていた「鋤焼すきやき」の方法ほうほう採用さいようして、すきわるものとしててつなべもちいたのであった。江戸えど時代じだい農民のうみん知恵ちえひとつの食事しょくじ様式ようしきをつくりげたのであった。