| すき焼…農民の知恵「鋤焼」が語源
……2002.10.25 秋が深まってくると、ちょっと寄り合っての会食にも、一家団らんの夕べにも「すき焼」のシーズンを迎える。一つ鍋を囲んでつつき合う風情はなごやかな雰囲気をかもし出し、庶民の間で愛好されている。 「すき焼」も松茸(まつたけ)のシーズンには松茸を、ときには魚を入れて魚すきにしたり、今日ではいろいろのものを入れるようになったが、やはり本筋は牛肉であり、牛肉が食用にされるようになって、そこから「すき焼」が生まれたのである。 日本人の食生活の歴史の中で、その一時期を画するのは文明開化の時代であり、そのもっとも大きな変化は、牛肉が 公然と食用に供されるようになったことである。文明開化以前には西日本ではイノシシ、東日本ではシカ、クマなどの野獣を 食用とすることはあったが、家畜は公然と食べることはなかった。 もちろん一部の人々の間では、江戸時代の初期にすでに牛肉を食べたことがあり、農家でも病人の精をつけるために「薬喰(く)らい」と称して、薬用として食べたことはあったようである。 しかし、こうした場合でも公然と食べることはなく、あくまでも隠れて食べたのである。家畜の肉を食べないというのは、古くからの仏教的な考えがあったのであろうし、牛を使役する農民の動物愛護もあったのであろう。 ところで、その食べ方であるが、家の中で食べることはもちろん避け、納屋の中や田へ出かけてひそかに焼いて食べた。この風は牛肉を食べることがかなり普及した明治の中頃でもまだ見られたようである。 そのさい、使い古した鋤(すき)の鉄刃の部分の周辺に味噌(みそ)で堤をつくり、脂がこぼれ落ちないようにし、鋤を炭火の 上にのせて肉を焼いて食べたのである。鋤が焼けてくるにしたがって周囲の味噌の内側が少しずつ溶けて中に流れ、肉の 脂と調和して実にうまい味が出たものだと言われる。「すき焼」という言葉はここから生まれたのであり、「すき焼」すなわち「鋤焼」であったのである。 |