あわ(アワ)”のこうへ

 わたしおどろいたのは、ウィークデーの夕方ゆうがた午後ごごの5時半じはんごろ)に、会社かいしゃがえりのおとうさんたちがたくさんていることだ。

 「今日こんにちは、おとうさんがおおいのね。なにか、特別とくべつ試合しあいなの」 わたしは、知人ちじんいた。

 「いや、これが普通ふつうですよ。よっぽどのエグゼクティブでないかぎり、5会社かいしゃ夕方ゆうがたいえ手伝てつだいや地域ちいき活動かつどう参加さんかするのがアメリカの平均へいきんてき父親ちちおやですからね」

 けば、この高校こうこうではまいしゅう3〜4かい、なんらかのスポーツ試合じあいがあって、生徒せいとおやばかりではなく、近所きんじょのおじさん、おばさんが応援おうえんるのだそうだ。ているとだれもが「メアリ、がんばれ」とか「ミランダ、しかったね」とかびかけている。この 高校こうこう子供こどもたちがコミュニティのなかでコミュニティの一員いちいんとしてそだっていることがつよかんじられた。しかも、おとうさんが地域ちいき子供こどもたちのことを、こんなにもしたしく見知みしっているなんて。

 日本にほんのおとうさんは近所きんじょ高校生こうこうせい名前なまえべるか。したしくはなしができるか。住宅じゅうたくゆたかかさも、高校こうこうのスペースのひろさも、経済けいざい好況こうきょうへのうらやましさもえてしまった。でも、このおとうさんと子供こどもたちの関係かんけいばかりは、本当ほんとうにうらやましかった。
 “アワ(バブル)”がえたあと、このくにがまじめに取り組とりくまなければならないのは、おとうさんが地域ちいきかかわれる社会しゃかいではないか。地域ちいき学校がっこうのさまざまな行事ぎょうじにおとうさんが地域ちいき一員いちいんとしてたのしくかかわれる社会しゃかい。“アワ”のこうに目指めざすべきものは、 経済的けいざいてきゆたかさよりも、おとうさんもかかわるコミュニティではないかと、おもったのである。