“泡(アワ)”の向こうへ

 先月、ニューヨーク郊外を訪ねて、ウームと考えてしまった。

 知人でニューヨークに住んでいる人がいて、その家を訪問したのである。市の中心部から車で40分ぐらい。手入れの 行き届いた6DKクラスの家々が、木立の間に美しく並んでいる。

 「中流サラリーマンの住宅地で、環境がいいから、日本人もたくさん住んでいます」と知人がいう。
マンハッタンからわずか40分の住宅地とは思えない。色とりどりの花々が道路わきや庭に咲き、木立をわたる風はまる で森の中。驚いたことにリスが木をするするとかけ上るのが見える。

 景気のよいニューヨークの街中を歩いたあとに、典型的な郊外中流家庭の家並みを見せつけられると、「それにくらべて、 わが日本は…」と、不況のさなかのせま苦しい住宅地のことを思ってしまう。

 でもそこは、豊かさの厚みがちがうのだ。ここは、豊富な資源と競争を重んじる資本主義社会を戦後一貫してリードして きた国だ。一方日本が先進国としてサミットの一員に加えられたのは、つい先ごろのことだ。ここは、うらやましがっても仕 方がないと思い直した。

 だから、その後の衝撃の方が大きかった。

 知人の娘さんは高校2年生。高校のソフトボール部のピッチャーで、今日はとなりの高校との試合だから見に来ないか とさそわれた。「喜んで…」と、高校までついていった。ゆるやかな丘の広々としたところにその高校はあった。

 グランドに近づくと、フェンスの外に数段のベンチ席があって、たくさんの人がすわっていた。すわれない人はその近くに、 シートを敷いたり、あるいはフェンスにつかまりながら試合を見ている。それぞれおやつやペットボトルの飲み物を用意して、 試合の経過に一喜一憂している。



 私が驚いたのは、ウィークデーの夕方(午後の5時半ごろ)に、会社帰りのお父さんたちがたくさん来ていることだ。

 「今日は、お父さんが多いのね。何か、特別の試合なの」  私は、知人に聞いた。

 「いや、これが普通ですよ。よっぽどのエグゼクティブでないかぎり、5時に会社を出て夕方は家の手伝いや地域の活動に 参加するのがアメリカの平均的な父親ですからね」

 聞けば、この高校では毎週3〜4回、なんらかのスポーツ試合があって、生徒の親ばかりではなく、近所のおじさん、おば さんが応援に来るのだそうだ。見ていると誰もが「メアリ、がんばれ」とか「ミランダ、惜しかったね」とか呼びかけている。この 高校の子供たちがコミュニティの中でコミュニティの一員として育っていることが強く感じられた。しかも、お父さんが地域の 子供たちのことを、こんなにも親しく見知っているなんて。

 日本のお父さんは近所の高校生を名前で呼べるか。親しく話ができるか。住宅の豊かさも、高校のスペースの広さも、経済 の好況へのうらやましさも消えてしまった。でも、このお父さんと子供たちの関係ばかりは、本当にうらやましかった。
 “アワ(バブル)”が消えた後、この国がまじめに取り組まなければならないのは、お父さんが地域に関われる社会ではない か。地域の学校のさまざまな行事にお父さんが地域の一員として楽しく関われる社会。“アワ”の向こうに目指すべきものは、 経済的な豊かさよりも、お父さんも関わるコミュニティではないかと、思ったのである。